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ギャラリーなつか 会場風景 |
「惑星の日々」
容器と水路。錯綜する水路の編み目も三次元に積み重なれば、水を含んだ海綿のように一つの容器になる。明確に閉じた外形を持つとき取りあえずそれは容器のように見え、分散した時それは水路になる。たとえば人は人としての形を持ち容器のようだけど、本当は密度の高くなった蒸気のようでもある。そうして、人はときどき世界のことを考えるけども世界は人の無い時間の方がずっと長かった。
もしかすると人は世界が見る夢なのかもしれない。世界が人を夢見て、その夢の中で人は世界を確かめようとする。世界をダウジングのように確認しようとする作業、ドローイングを描くということはそういうことでもあるような気がする。
やがて、人がどのような姿も保つことが出来なくなって風のような霧のようなとてもとても薄い存在になった時に懐かしく思い出すであろう惑星の日々、その光景。生まれ落ちたその瞬間に人はその光景をすべて見る、そしてすぐに忘れてしまうのだ。
生きるということはそのような予め失われた光景に帰ろうとする衝動の連続にすぎないとは思わないかい? |
弐千六年夏至の日に |
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「ルヴハイ」 綿布に油彩 170×130cm |
「ルヴハイ」 綿布に油彩 92×73cm |
「ルヴハイ」 紙にクレパス 27.5×21.5cm |
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「ルヴハイ」 綿布に油彩 100×80.5cm |
「ルヴハイ」 綿布に油彩、ワックス 240×180cm |
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